「瘡瘢旅行」

2010/01/20(Wed)



いささかおじさん臭い話ではあるが、今時の若者の日常は、私小説になり得るのだろうか?答えはNOだと思っている。何故なら、彼らはそれぞれが踏み込んで欲しくないエリアを持ち、決して相手のエリアにも踏み込まない。そんなバランスの中で実にフラットな人間関係を作り上げている。私小説は、その生き方に相手を巻き込んだ独断さがあってこその代物である。つまり、不可侵のエリアに入り込んだ人間関係の先にしか生まれない。そこで貫多の登場である。とても繊細で甘ったれで、臆病でやさしいけど気が短い、それでいて志とプライドは高い男である。この焦れったいほどの心の機微が描かれた現代の私小説のありようは、時にやさしく時に寂しい。いささか古くさい匂いのする一冊ではあるが、何故か好きなのだ貫多が。
*西村賢太著 講談社 2009

No.125

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