「火山のふもとで」
2012/12/10(Mon)
「九時になると、ほぼ全員が自分の席について、ナイフを手に鉛筆を削りはじめる。・・・入所すると、先生が手ずから名入れしたオピネルのフォールディングナイフが鉛筆削り用に手渡される。短くなった鉛筆にはリラのホルダーがストックされており、長さが二センチを切ると、梅酒用の大きなガラス瓶に入れられて余生を送る。・・・鉛筆を削る音で一日がはじまるのは、・・・はじめてみると、たしかにこれは朝いちばんの作業にふさわしい気がしてくる。コーヒーを煎れる香りのように、鉛筆を削る匂いで、まだどこかぼんやりとしている頭の芯が目覚めてゆく。カリカリカリ、サリサリサリという音で耳の神経にもスイッチが入る。・・・」本文より。物事には手順があって、それぞれにはちゃんと意味がある。それは、心と体を徐々に繋げていく儀式のようなものだが、スイッチひとつでパワー全開になってしまうシステムの囲まれた今では、そんな時間のたまり場は忘れられている。何も心技体は、特別な境地ではないと思うのだが。ゆるやかに流れる物語の時間の中で、そのことを改めて思う一冊である。
*松家 仁之著 新潮社 2012
No.290
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